チュニジアを通して広がる世界

日本チュニジア友好協会会長 小野 安昭

 

1968年の夏、私は、いまだ第三次中東戦争後の緊張感の漂うベイルートに日航機で到着。車でダマスカスへ。アラビア語研修のためである。

当時のダマスカスは、戦後の重苦しい空気に包まれ、その中で1年間アラビア語のイロハから取り組む。

2年目は、カイロに移動、開放的で包容力のある大都会に解き放たれた野鳥の如く夜な夜な金のカスタネットとオリエンタル・ダンス(ダンサー?)が醸し出す雰囲気に身を浸す。生きた?アラビア語研修に没頭!ナセルが、イスラエル撃退のためアラブ連帯を声高に訴えていた頃である。

そして研修3年目の夏、“研修になるのか”と大使と指導官に言われる中を、広域なアラブ・イスラム世界を肌で学ばずに研修成果は、上がらずと説得し、夏季休暇を利用して地中海周辺諸国一周の旅に。

丁度サウジに転勤する先輩から破格の値で購入の赤のダットサン(1300㏄、エアコンなし)を運転し、隣には日本から飛んできた婚約中の彼女が、一緒(これは秘密)。

カイロを発ち、50度を超す酷暑の中、真っ白なリビア砂漠を一気に走り抜け、トリポリ経由、チュニジア南部へ国境を越え、海岸線沿いを北上する。

1300キロにわたる白砂の海岸、紺碧の空、緑豊かな丘陵地帯、点在する青と白の家々…が、車窓から飛んでゆく。

私も彼女もそしてオーバーヒート気味のぼろ車も砂漠の長旅の疲れから解放される。数多のフェニキア、ギリシャ、ローマ、ビザンチン、アラブの遺跡群、魚介類のクスクス、無花果などの太陽あふれる果物・・・。

チュニジアは、私たちの心の中に蜜のように浸み込む。正に忘れがたき青春?の一齣。それから40年近く過ぎ、なんと放浪の旅の最後にそのチュニジアに勤務である。神のご加護と多くの人々の御蔭にて充実の4年間であった。

今般、多くの方々のご支援で衣替えして友好協会が設立されましたが、これには、個人としては、前述のように人生の半分をお世話になったアラブ・イスラム世界へ何とか恩返しをしたいとの気持がありますが、その目指すところは、協会の色々な企画の実施や多様な専門と経験を有する会員同士の交流を通して、3千年の歴史を持つチュニジアへの関心と理解を深め、また親睦を深めていただくことにあります。

また、協会としては、更に進めて、ダラジ大使のご理解と強力な支援も得ておりますが、より広くアラブ・イスラム世界のみならず、現在の人類社会が直面している数々の挑戦をも活動の中に取り上げていきたいと考えております。

是非とも会員の皆様は勿論のこと、ご友人、お知り合いの方々からも積極的なご参加を得て、楽しく、そして刺激的な知的空間を創り出したいものと希望しております。

 

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ダラジ大使と演壇に立つ小野会長(右)